死後の世界について(死後の世界はあるという見解です)

2014年12月6日




1.死後の世界は存在する

 死後の世界については誰しも興味があると思いますので私の考えを述べます。
尚、これについては様々な考え方、信条が存在します。あくまで私の個人的見解です。

 最近、「臨死体験」「お迎え」などが話題になっています。これを根拠に死後の世界は
存在するという主張している人が多いようです。
一方で、臨死体験は脳内幻想にすぎないと主張する人も居て確信は持てないですよね。
ネットで検索してみると「ある」「ない」の論調で分断していてインテリ層は「ない」と
主張している傾向が見られます。これでは「合理的に考えてないだろう」と感じてしまいますよね。
「死後のことなどどうでもいい。今が大事」「死んだら消えてしまいたい」と割り切れる人は
それでいいのですが、多くの人が死後について不安、または恐怖を抱いているのが実態です。
 私は過去に「死のことを考えると恐怖で気が狂いそうになる」と悩みを打ち明けた方を
何人も見ています。そういう人達に私は「死後の世界はある」と断言したいです。

 私はインテリ達がどんな理屈を言おうが死後の世界は「ある」と確信していて揺らぎません。
私にとっては「当たり前」のことです。死後の霊の存在を感じ取ることができます。
亡くなった方が今どういう状況なのかも感じ取れます。
具体的に見えるわけではないのですが「波動で感じ取る」ことができます。
後述しますが、死後の世界を見せてもらったこともあります。もちろん
科学的には「個人の思い込み・妄想」という扱いになり、何の証明にもなりませんが。

 また、私は子供の頃は霊に悩まされていました。ラップ音、金縛りは日常的であり、
明らかに意志を持った存在が常に妨害工作をしているのを実感しました。
 そしてその存在と戦いまでしていました。→霊障体験
(私は死後の霊が生きてる人間と全く同じく思考をしている事実を痛いほど体験したのです)

2.死の恐怖を抱く人々

 高校生の時の国語の教科書に「死の恐怖」についての小説みたいなのが載っていました。
死んで無になってしまうことに恐怖を抱く人の心情を描いたもので、それについて
「死ぬこと(自分が無くなること)をどうやって受け入れるか」を真面目に議論している
みたいな内容でした。

 私はそれを読んで正直「何でこんなこと悩んでいるの?」と不思議に思ったものです。
人間が死後、霊となって存在していることは私にとっては「信じる」「信じない」の
問題ではなく、ごく普通の日常的な現実だったからです。
日々霊を感じることもありますし、不思議な体験もたくさんあります。

 逆に霊の存在を信じないと言ってる人が居ることが私には不思議なのです。
「こんなにあちこちに居ることが感じられるし、分かるのに他の人には分からないの?」
という感じです。日々、波動やテレパシーのような通信によって見えない存在や
もう亡くなった人達を感じ取っている私としては、それらが全く存在しないと
議論している人達のことが逆に不思議に思えてきてしまいます。

 おそらく、ほとんどの人には気配すら何も感じることはできないので霊なんて存在するのか
しないのかピンとこないのが事実でしょう。科学的に考えれば死後の世界など存在せず、
死によって自分が消滅してしまうという理論の方が合理的に感じられるでしょう。
 しかし、自分が消えてしまうということは想像しがたいことです。
考えれば不安になってしまうに違いありません。
この不安に悩まされている方は多いのではないか?と思います。

 一方、死後の世界を信じる人にも不安や恐怖の悩みがあるようです。
死後の世界については様々な人が様々なことを主張していますので、
逆にそれを信じたことで不安や恐怖に陥ってしまうことがあるようです。
古くから人を不安にさせていることは地獄の存在です。
死後、地獄に落ちて苦しめられるのではないか? と誰もが不安になります。
 間違った信仰や生き方をすると永遠の地獄に落ちるみたいな事を主張する人もいます。
現代人はほとんど全員が罪を犯していて地獄行きなどと主張する人もいます。

 更に、死後の霊が成仏できなくて苦しむという話もよく聞きます。
不慮の死で亡くなったりすると霊は成仏できず、苦しみ続けると言われています。
そして霊を救うには供養をしなければならないと言われています。

もし自分が死んだ後、誰も供養してくれなかったらどうなるのか?
永遠に苦しみ続けなければならないのか? 金持ちや有名人は供養してもらえるが
貧乏人は供養してもらえず、苦しまねばならないのか?不公平ではないか?
などいろいろ疑問が湧いてくると思います。

 私がその答えを提示しましょう。あくまで私の持論ですが。

3.死後の世界の真相

 最初に私が述べたように死後の世界は存在します。人間は死んだら無になるわけではありません。
それを科学的に証明することはできません。でも、私には死後の霊の存在が感じられます。
これも証拠にはならないでしょうけど、私のサイトの不思議な効果を実感している方は
私の感覚的体験が妄想だとは思わないでしょう。私にとっては一般の人達が五感でこの世の
現実を感じ取ってるのと同じようにもう一つの感覚であの世の霊を感じています。
それを幻想だと言う人が居たら私はこう反論します。
「ならば、あなたが見聞きしている現実も五感の幻想かもしれないよ」と。

「科学で認められていないから死後の世界はない」「脳が死んだら意識も無くなり、無になる」
と人は思うのかもしれません。しかし、科学者や医学者でも「あの世は存在する」と主張してる人はいます。
また、科学万能だと多くの人は思っていますが、科学は身近に存在する「気」や「経絡」のことを
解明するどころか、検出することさえもできていないのです。
我々東洋文化圏で当たり前に用いられている「気」を科学は存在すら確認できないのです。
科学者達は、我々東洋の気の文化を「みんなで信じている妄想」と解釈しているのです。
鍼灸の効果や気功による治療などは否定できない事実ですが、科学や医学では説明できないのです。

 科学で解明されていない未知の領域というのは、未だ未だいくらでもあるのです。
手の平から出る気のことさえ何も説明できない科学者達が、どうして心や霊、あの世のことなどを
「ありえない」「心は脳の機能に過ぎない」などと断言できるでしょうか?

 私は「死後の世界はない」という説に説得力を感じたことは一度もありません。
どれも本に書いてる理論を元に「AならB、結論はC・・」みたいに机の上で判断してるだけにしか感じません。
「心=脳の機能、死=脳の機能停止 つまり死で心は消滅する。故に死後の世界(の認識)はない」
「これで論理的に死後の世界が存在しないことを説明できた。完璧な証明である」などと
高校生の数学みたいに科学論者は説きますが、私が体験した怨霊は生きてる人間と全く同じように思考し、
私が思いつかない巧妙な策略を図りました。そして生きてる私と全く同じように感情があるのを感じました。
生きてる人間の心と変らないと私は感じたのです。これをどう説明するのでしょうか?
もちろん証拠はなく、私の妄想ということで、一言で否定されてしまうでしょうけど(笑)

世の中には私のように霊や見えない世界を感じたり、扱ったりできる人が沢山います。
また、オーラや霊がはっきり見えるという人も一定の割合いらしゃいます。
見えるという方に何人もお会いしました。皆さんごく普通の人です。嘘を言ってるとは思えません。
どこの民族にもそういう方々によって文化的な知恵というか知識体系が形成されてきました。
霊や魂、死後の世界についても優れた知恵が各地に伝承されています。
「全て妄想、錯覚」と科学を信奉する人は言うかもしれません。
しかし、伝統文化はどれも素晴らしいものです。芸術・医療・料理など優れた伝統文化があり
それらを評価しながら、霊や見えない世界に関する文化だけは全て妄想・錯覚の産物である
と断定するのは不自然と言えます。誰かがA→Bみたいに机上で導きだした結論よりも
大勢の人達の実体験と経験知によって積み上げられた文化の方が信用できると思いませんか?

「ある」という話が信じられなくて苦しい方は→死後の世界が信じられなくて苦しい方へ
死後の世界があったとしても、最後は無になるのでは?と恐怖を感じる方
あるいは死後も自分が存在することが恐怖に感じる方へ→人の死について

 次に死後の世界で言われていることのほとんどは、主張する人にとって都合の良い話と感じられます。
私にはそう思えて仕方ありません。
宗教者は自分の宗教に入信しないと死後良い世界に行けないと言う傾向があります。
自分と異なる考えを持つ人や嫌いなタイプの人はみんな死後苦労すると言ってるようにも聞こえます。
供養を請け負う業者は供養しないと霊は成仏できない、お金を掛けて供養した方が良い世界に
行けると主張したがります。
これらは宗教者や業者にとって都合のよい理屈です。
どうしてこうも人間とは自分に都合のいい脚色をしてしまうのだろうか?とあきれるばかりです。
もしかしたら私も同じことを無意識にしているかもしれません。この世の人間の性かもしれません。
こういったものは広告やCMみたいなものです。広告やCMは都合のよいことばかり主張しているものです。
消費者はいちいち広告の言うことを鵜呑みにはしてないですよね? それが賢明な判断です。

 私の意見として宗教の選択は死後の状態に影響しますし、宗教の行や善徳も
死後に良い影響があるように感じます。でも、宗教の選択によって死後の境遇が
身分差別みたいに決まるとか、宗教の戒律に反した行為をしたら地獄に落ちるなどのことはありません。
それらは宗教を運営している人達にとっての都合の良い主張でしかありません。
宗教は人間を正しく導く為の方便であってその為に人が恐怖や苦しみを感じるのは本末転倒というものです。

 創造主だの、内在神だの、正神だの、正法だの、最高の教えだの、正しい神仏を信じないと
あの世で裁かれると宗教者は主張することもありますが、私に言わせればどれを選択するかは
ロックを聴くか?ジャズを聴くか?はたまた演歌を聞くか?程度のものです。
教えの実践もどの政党を支持するか?みたいなものでしかありません。
選択の自由が認められているなら自由に好きな物を選べばよいのです。
 どれが本物でどれが偽物なのか分からないのに、本物を選択した人だけが救われて、
本物が分からずに偽物を選択した人は永遠の罰を受けるとしたら実に意地悪なゲームです。
人間よりも心の広いはずの神仏がそんな意地悪ゲームをするでしょうか?

また、供養については効果がありますし、できれば行うのがよいです。
でも、供養しないと霊は救われないなどということはありません。

 知恵袋板で死後の世界について投稿したことがあります。それをここで引用します。

私が観た感じでは徳が高い人はどういう死に方をしても、宇宙からエネルギーが
注いで助けてくれます。私が知る限りでは吉田松陰が凄いです。この人の神社、お墓、ゆかりの場所
はみんなパワースポットになってます。よほど立派な人だったに違いありません。
その他詳しくは言えないですが、歴史上悪人とされた人でも実は良い人で、宇宙からエネルギーが
注がれているケースがあります。たとえ悪人扱いされて供養どころか粗末にされようとも成仏できます。
(それが誰かは興味深いでしょうが、聞かないでくださいね。ネットには書けません)

一般の人はどうかと言うと執着を持って死亡したり、悲惨な死をした人はしばらく成仏できない場合が
あります。でも、人間とは時間間隔が違うので何百年成仏できない霊でも、当の霊にとってはそんなに
苦しんでるようには思えない感じもあります。霊にとっては時間がとまってるみたいな感じですし。
また、自然の浄化力によって必ず浄化していきますので死後の霊のことまで人間が心配することはないのですが・・


 ここでポイントとなるのは次の点です。

<神仏はきちんと見ている>
 死後の世界で霊が幸せに過ごせるか、苦労するかどうかは供養してもらえるかとかどんな宗教を信じて
いたか? ましてや戒名の値段などで決まるのではありません。
 そういうことが多少は影響することはあるかもしれませんが、長い目で見ればそれで決まるわけではありません。
神仏の世界、霊の世界は隠し事のできない世界です。全てが明らかにされる世界でもあります。
故人が生前どういう生き方をしたか?どれだけ徳を積んだか?罪を積んだかは神仏や霊達は全てお見通しです。
この世のように嘘で誤魔化すことはできませんし、要領やお金で思うようにはできないのです。
また、スピリチュアルの本をたくさん読んで知識を増やせば神仏に優遇されるなどということもありません。

 宇宙、そして神仏、あの世の存在達は常にバランスを取ろうとしています。
この世で徳を積んだのに報われなかった人はその分後で報われるようにバランス調整の作用が働きます。
その逆もあるわけです。この世は理不尽な世界ですがあの世はバランス調整がされている世界と言えます。

 また、この世は結果責任が求められますが神仏は結果責任という観点では見ていません。
裁判や刑罰で情状酌量や更生への配慮が十分に図られているみたいなものです。
罪を犯した人も一人一人様々な事情があることを神仏はきちんと見ていてくださっています。
 もし、神仏が一部のエリート以外は「はい、不合格、地獄行き」なんてふるいで落とすゲームを
しているなら「神仏のくせに器が小さすぎる」と神仏に抗議運動をしてやりたくなります。
神仏はそんな器の小さい存在ではありません。そういう主張している宗教者の器が小さいだけです。
また、あの世の霊達も、全般的に善良な霊が多いです。本来の魂は善良なのかもしれません。

  次ページにつづく


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