死後の世界について2
2014年12月6日
死後の世界についてのつづきです。
<この世とあの世では時間間隔がちがう>
人間社会は時間に縛られています。人の一生は80年くらいですから、その間にやるべきことを
しなければならないので「いついつまでに〜〜をする」みたいな時間的ノルマがあります。
しかし、あの世では時間はもっとゆったりしています。この世とは全然違います。
人と競争する世界でもないです。何百年も怨霊となっていた霊を浄化しても霊は「いままで時間を
無駄にした」という意識を抱くことはないです。霊には時間というものが無いように感じます。
成仏させるという考えそのものが人間社会の感覚で霊が邪魔だから早く浄化させて排除しようという
人間社会の都合に基づく人為的行為に過ぎません。
動物は供養などしませんし、人間も葬儀や供養をきちんと行うようになったのは近年のことです。
自然界は何もしなくても浄化・バランスを取るようにできていますので、
霊はどのような状態で死のうとも、時間が経てば自然の作用で浄化していきます。
その間に遅れてしまったと後悔することもありません。他人と競争しているわけではないからです。
悠久の昔に始まり、悠久の時間によって運営されている宇宙に遅れも進みもないのです。
<あの世の地獄よりもこの世の地獄の方がはるかに苦しい>
地獄というのはあります。霊の心の状態が地獄の場合はそういう状態になります。
例えば怨霊となった場合や生前の行いを後悔している場合など。
でも、怨霊は私には苦しんでるようには思えません。むしろ復讐する目的を達成しようと
楽しんでるようにさえ思えたりします。生前の行いを後悔している霊の方が苦しそうです。
それでもあの世の地獄はそんなに辛いようには感じられません。
この世の方が時間と現実に縛られている分ずっと苦しいのではないか?と感じます。
分かりやすい例で説明します。
うつ病になってしまった二人の人が居たとします。一人は一家の主である会社員A、
もう一人は大富豪の息子Bです。二人はうつ病ですから辛く苦しい状況であることは変わりません。
でも違いがあります。
会社員Aはうつ病がひどくなって会社に出勤できなくなりました。すると会社からは
「どうしたんだ?会社に出て来い、困るよ」と催促されます。
Aはこれによって悩みが更に深くなります。
「会社に行かないと会社に迷惑が掛かる。それに首になるかもしれない。もし首になったら
家族を養えなくなる」と悩みが深まります。家族もAが休んでることを悲しみます。
「このままだとどうなる」「食っていけなくなる」と不安が募ります。
「家のローンはどうする。子供の教育費はどうなる」と堂々巡りになります。しかし、悩めば
悩むほど病気は酷くなります。やがて会社をクビになります。結果、家族共に露頭に迷います。
悩み・苦しみは複利計算のように次々と襲い掛かり、膨らんでいきます。
これが現実社会の地獄です。多くの人は生きることで精一杯の状況であり、綱渡りの生活をしているのです。
人間は毎日飲食しないと生きてはいけません。休む余裕はないし時間も限られているのです。
実際には様々な社会福祉や制度があるのでうつ病だけで転落することはないですが、
この世は「一寸先は闇」であり、奈落の底に落ちる恐れのある過酷な世界と言えるでしょう。
しかも、弱肉強食で争いと不平等に満ちた世界です。
一方ドラ息子Bはうつ病になっても、飲食には困りません。毎日寝ていても給仕が
食事を持ってきてくれますし、医師が診察してくれます。周りの人はこう言います。
「ゆっくり病気を癒してくださいね。あなたは何もしなくても永遠に安泰ですから心配なく」
と励ましてくれます。ドラ息子Bは将来の不安も時間的制約も何もありません。
うつ病の苦しみ以上の苦しみが襲ってくることはないのです。
Bが霊の世界の地獄と言えるでしょう。
常に多くの神仏が公平になるよう調整している福祉国家の中の病院という感じです。
Aの苦しみとどっちがよいでしょうか? この世の方がよっぽど苦しいではありませんか?
この世の苦しみを耐えている我々があの世の苦しみなど恐れることはないのです。
<あの世はどんな世界か?>
私が感覚で感じ取るあの世の様子はこの世と同じですね。
ありとあらゆる世界があります。丁度インターネット上にコミュニティが無数にあるようなものです。
それぞれカラーが異なり、それに合った霊が集まってます。
それもネットコミュニティと似ています。
そして場所、位置という意識が希薄なように感じます。よくあの世は墓地にあるとか、空に
あるとか、地下にあるとか色々言われてますが私の感じる限り、墓地にもあるし、空にもあるし
どこにでもあるという感じです。どうも霊の世界には空間というものは存在せず、意識した場所
が位置になるようなのです。多くの霊が墓地を居場所だと思ってるので墓地に霊が居る訳ですが、
墓地があの世と言うわけでもないです。空間の感覚が希薄なのもインターネットのコミュニティと
似ています。
私はかつて祖母にあの世を見せてもらったことがあります。
私の両親が田舎の祖母の墓参りをした時のことです。
私は仕事中でしたが突然全身に電気が走ったようなショックを受けて、祖母の居るあの世が
脳裏にはっきり見えたのです。丁度その頃、両親が墓参りをしていたようです。
何故、両親がお参りしたら祖母が見せてくれたのか? おそらくですが、
両親は祖母に「〇〇(私のこと)の縁結びをしてください」とお願いしたのではないか?
と想像してます。そこで祖母が結婚の圧力に苦しんでる私を心配してくれたのだと考えてます。
当時私は結婚を考えられる状況ではなかったのです。仕事が全然うまくいかず、
会社を辞めたいと悩んでいましたし、本音を言うと一人で生きたかったのです。
でもそれは「自分勝手で甘えてる、親不孝だ」と自分を責めてました。
そんな私にアドバイスしてくれたのだと思ってます。
見えたのは夢の中ではなく、仕事中、脳裏にはっきりと見えたんです。
目で見てるわけではないですが、まるで目で見てるように見えました。不思議なんです。
見えた世界、そこは薄暗い町でした。
薄暗いと言っても夏祭りの会場のような感じで夕暮れ時に明かりがあちこちに灯っている
ような心安らぐ感じでした。そこに大勢の人がいました。
町並みは昭和30年代みたいな感じでした。
そして祖母が現れて私に話しかけてくれました。
私のこと(苦労)は良くわかっているよという事を伝えてくれました。
「親のために結婚しなくたっていいよ」
「好きな生き方をしなさい」と言ってくれたと記憶してます。
次に知らない人が目の前に現れてきてアドバイスしてくれました。
アドバイスは覚えてないのですが、次々と知らない人が代わる代わる
アドボイスしてくれたことは覚えています。みんな親切な人達でした。
方言が強い言葉なので何を言ってるのか分かりません。
でも不思議なことに言いたいことは伝わってきます。
これが霊の会話なのでしょう。
祖母以外は先祖とは思えない知らない人ばかりでしたが、仲が良いようでした。
祖母は信仰深い人でしたので念力が強かったと思います。
だからこんな不思議なことを起こすことができたのだと思います。
また、社交的で自由な生き方をした人だと聞いてます。
映画「タイタニック」の主人公の女性みたいな人だったらしいです。
ですから、死後も身内で固まっているのではなく、
いろんな人と自由に過ごしているのだろうと思います。
もう一つ不思議なことに町のあちこちにポールというか、柱みたいなものがあり、
そこからとても気持ちの良いエネルギーが流れてきます。「なんだこりゃ?」と
思いましたが後で考えると墓地に置かれている仏様(題目が書いてある)だと思います。
これは私が見たあの世の一例です。他にもありとあらゆる世界があると思います。
そこに集まる人達の意識が作り上げた世界だと思います。霊達は自分の意志で好む世界を
作り上げてコミュニティを形成しているように思えます。
多種多様で、これもネットと似ています。
私が感じるのはこの世よりも自由で、自分らしく過ごせるということです。
結論として、死後の世界は存在します。死後自分が消滅するわけではありません。
科学は「気」すら解明してません。脳と意識の仕組みも全く解明されてません。
科学者の「死後の世界は存在しない」という主張は説得力がないのです。
また、あの世は宗教者が説くような窮屈な世界ではありません。
人間社会よりものんびりした楽な世界であること。そして、極悪人やテロリスト
でもない限り、誰もがあの世で安らかに過ごせます。ですから、
あの世のことなど心配せずに日々生活して欲しいと思います。
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