人の死について
2018年3月31日
1.母の死について
先日、母が亡くなりました。葬儀では多くの方にお世話になりました。
また、皆さんに哀悼の祈りをして頂き、感謝しております。
母の死はつらいものでしたが、母の死を通じてあの世の存在を更に確信することができました。
母は死後もしっかり存在していることを実感することができました。
母はすでに寝たきり状態で老衰しておりました。12月頃から食事もほとんど
できなくなり、点滴で延命しているだけの状態でした。1月には点滴だけになり、
普通は長くて1カ月と言われていましたが、母は3月まで生きておりました。
前日には面会したのですがその時はまだ意識もありました。
面会した時、母の周囲に私の分身や他の人達が大勢居るのがわかりました。待機してるようでした。
そして私の分身がヒーリングをしているのがわかりました。これはおそらく、
延命というよりも、あの世に旅立つ準備をしていたのだと思います。
亡くなってから葬儀が終わるまでの数日間、母は強い光に包まれて恍惚とした状態で
いることが分かりました。眠っているように感じられました。
これが臨死体験で言われるお迎えの体験なのだなあとわかりました。
数日経つと母の霊は光の恍惚感から目覚めてきて、意識がはっきりしてきたようでした。
でも、最初のうちはよく状況がわからないみたいですね。「寂しいから一緒に来てよ」なんて
言ってるのが感じられたりしました。
おそらく49日くらいになるとかなり落ち着いてきていくべきところに行くことが決まると思います。
今も母の存在を感じることができます。寂しそうな感じで私に視線を向けているのを感じます。
【追伸 2018/04/15】
母は亡くなって25日くらい経過した頃から変化してきました。
寂しそうな表情が明るくなったのが分かります。この世への未練も薄れたような感じもします。
それに町のような景色も見えます。また、周りにいろんな人が居るようにも見えます。
居場所が決まったのかもしれません。
【追伸 2018/04/22】
今日は菩提寺に行き、母の供養をしてきました。
母の状態に変化がありました。霊体が生き生きとした感じになったのがわかります。
菩提寺の住職さんは人徳のある方のようで、それに惹かれた方が集まる小さなお寺です。
皆さんの人柄の影響でしょうか?大変よいパワーがありました。
【追伸 2018/05/11】
連休中に市営霊園の墓地に納骨しました。親族が集まったことを母が喜んでるのがわかりました。
納骨後、5日くらい母は墓地にいました。でもどうも落ち着かないようでした。
結局、母は墓地ではなく、のどかな世界に戻って落ち着いています。そこが居場所のようです。
墓地に滞在するかどうかは人それぞれですね。
母にとって墓地は別荘、または面会所という感じですね。
皆さまの祈りは私にも母にも伝わっています。皆さまの祈りにより母は通常よりも
早く意識がはっきりして、気持ちの整理がついたみたいです。
そして、母がしょい込んでいた因縁やら苦しみがどっと私の体にのっかってきました。
ちょっときつかったですが邪気抜きの手法やパワーページなど普段行っているテクで対処できました。
おそらく日頃、私は母がしょっていた重荷を身代わりにしょいたいと思っていたので、
実際にそのようになったのだと思います。
あるいはこれが因縁の相続ということなのかもしれません。私はたまたま敏感なのでそれを
はっきり感じてしまっただけのことで、誰もが相続されてるのかもしれません。
2.死後の世界があることを証明したい
今回、死についていろいろと考えることができました。
私や親族の方々はあの世の存在を確信しているので母の死を命の終焉というよりも、
楽になって新たな旅立ちをしたのだと前向きにとらえることができたようです。
そういう意味では幸せであったと思います。
あの世はまちがいなく存在します。そして死後も人の心は生き続けます。
私は断言します。そういう話はたくさんありますね。
今では臨死体験などの本もたくさん出ています。
しかし、世の中には人間が死んだら無になると考えている人も多くいて、
そういう方にとって死は想像を絶するほどの恐ろしいものだろうなあと思います。
実際にこういった悩みを相談されたこともあります。 あの世があると言われても疑いが出てきて
不安は消えないというのです。確かに信じられない人にとってはそうかもしれません。
せっかく死後の世界について多くの人達が「存在する」と証言するようになってきたのに、
それらを全て科学的な屁理屈で否定しようと懸命になっている人がいたりします。
科学の自由な研究は行うべきですが、未だ結論も出ていないのに、あたかも全てが
脳の機能で解明できるかの如く権威ある人が解説したりしています。
私はこれは知識人による横暴だと感じてちょっと怒りを感じています。
一般人にとって死んで無になることへの恐れはとてつもないことだと思います。
人間にとって最大の恐怖かもしれません。
死の恐怖について著名人達の苦悩がまとめられている記事を見つけました。
死の恐怖を巡って
死の恐怖を克服する術は「忘れる」しかないみたいです。これはつらい事です。
死んだら無になると考える人は、おそらく家族の死をとてつもない悲しみで迎えざるを得ないでしょう。
幸い、私は死後どうなるのか?という恐怖は抱いたことがありません。(子供の頃あったような?)
私にとって死後に霊となって存続することは観念でも信念でもなく、日々実感している事実です。
むしろこの世の苦しみから解放されて自由になると確信しています。
私には、はっきりわかります。人は死んでも無になるわけではありません。(一部の極悪人、テロリストを除く)
私には神仏や霊などの存在や心を感じることができます。
亡くなられた方が死後どういう状態に居るかもわかります。
また、これらの存在の思いや感情を検出したり、ヒーリングすることもできるのです。
ほとんどの方は、安らかに過ごしています。怪談話や宗教関係者の思惑によって
救われずに苦しんでる霊が多いみたいに皆さん思い込まされてるようですが、そんなことはないです。
最近亡くなられた方はどこか夢の中に居るような感じがあります(個人差がありますが)
一方、死後長い年月が経った霊(あるいは神様みたいな存在)は生きてる人間と同じように
意識や思考がクリアな感じがします。ということは人間は死後しばらくはボーっとしていて
年月を重ねることで神様みたいに立派になっていくのかもしれません。
これらのことが分かる私には世間の人達が「死=無」が怖くて仕方ないと恐怖を抱いて
あれこれ屁理屈を議論してそれを紛らわそうとしてることが不思議でしかたありません。
「何で、そんなこと悩んでいるの?」「何で 死=無 と決めつけるの?」
「脳が無ければ意識・心は存在しない、よって霊も死後の世界も存在しないと言われたから?」
「脳のメカニズムも解明されてないのに、勝手に決めつける科学信者の言う事を信じるの?」
という感じです。
私は世界中のノーベル賞学者が全員で口をそろえて「死=無」と主張しても
「私には感じられる。死後も意識は存在する。あんたらは間違っている」と主張できますし、
私の信念はみじんも揺らぎません。
当サイトとしては「気」「波動」に興味を頂くことが有効であると思っています。
気や波動に敏感になると寺社などに気や波動が強く存在することに気付きます。
神仏などの存在を感じ取ることができるということです。
やがて霊という存在もあちこちに居ることが分かってきます。
身近で亡くなった方の存在も感じられることがあると思います。
霊を感じることができなくても、私の分身のヒーリングなり、存在を感じて頂ければ
信じることができるかもしれませんね。
当サイトを初めてアクセスした方は是非ヒーリングを体験してみてください。→開運ヒーリング
分身は死後の霊ではありませんが、分身の存在を感じられたなら、私の言ってることが
嘘・妄想ではないと信じて頂けるでしょう。
分身は肉体も脳もありませんが人間と同じく意識があり、心があるのです。
私の分身による遠隔充電は遠い外国の地でも成功しており、その変化を何らかの科学的な測定で
証明すれば分身の存在を科学的に認めさせることも可能です。
(いろいろ面倒なので実施するつもりはありませんが)
それで気の存在を証明することができても、疑い深い人は未だ不安を抱くかもしれません。
気や念が伝わることが証明されても死後の世界の証明にはならないと・・
それについては、少なくとも人間の心や意識は脳の産物ではない証拠になります。
遠隔充電を電磁波の送受みたいな仮説で説明することは不可能です。位置情報も知らない
目的地に不拡散で、ピンポイントにエネルギーを送ることができるということは、
現代のいかなる科学の理論でも「説明不可能な現象」です。脳の機能などではないと断言できます。
少なくとも人間の心が全て脳によるものではない証拠になるでしょう。
疑い深い人はそれでも、死後の存在の証明にはならないと言うかもしれません。
では私が死んでしまった後に遠隔充電が可能だったら? どうでしょうか?
いずれ、私が死亡した時に皆さんに検証して頂きたいです。
3.最後はどうなるの?やはり無になるの?永遠の苦?
それで、一歩譲って霊が存在すると認めたとしても、霊とて不死ではないだろう?
死後霊となったとしても、いずれは無になるではないか? 単なる時間の問題だろう?
と考える人もいるみたいですね。あの世があったとしてもいずれは無に帰す。
あるいは世界はいずれ終わる。やっぱり無になるではないか?
と考えてしまう人もいるようです。
一方で「無になりたい」という人もいます。
「自分が消えて無になってほしい」と望む人もいるということです。
自殺を考えている方などはそうです。「消えてしまいたい。苦しみをもう味わいたくない」
と思う人がいるわけです。そういう方は死後も心が消えずに永遠に続くということが
逆に「永遠の苦しみ」に感じられ、恐怖かもしれません。
それについても回答ができます。
人は霊になってあの世である程度経つと、神仏や宇宙の心みたいな存在に合併吸収されるみたいです。
私が接触している神様は遠い昔から、大勢の魂が一つになっていった存在みたいに感じられることがあります。
神仏や宇宙に吸収されるということは個人は無くなるかもしれません。
でも、それは無ではなく、大いなる存在の一部となるということです。
どういう心境かというと、涅槃と言われるような境地だろうと思います。
自分の存在は無くなってしまう(はずな)のですが、合体して至福の状態です。
私も以前、瞑想とかやっていて、何度かほんのちょっと浅いレベルですが
涅槃みたいな境地を体験したことがあります。
無ではあるが何故か自分があって至福感があってとても気持ちいい・・
言葉で表せない不思議、かつ幸せな境地です。
深い境地に達するとエクスタシーやドラッグ体験(私は体験したことありませんが)よりも
はるかに気持ちいいらしいのです。ずっとこのままでいたいと思うらしいです。
これが永遠に続くのです。私がその境地を体験した時に思った事(悟り?)は、
「自分は元々ここに居た、ここから来たのだ」ということです。
人間は最終的には、この涅槃みたいな境地に到達するわけです。
最終ゴールに達しても自分というのが無になるわけではないのです。
意識はあって至福を感じられる最高の境地なのです。
それがゴールなのですから何も怖くはないです。
更に言うと、我々は元々、その境地の住人で、そこからここに来た気がするのです。
もしかしたら、苦悩の世界(ではあるが感動もある世界)であるこの世に
冒険をしに来ただけかもしれないのです。(あくまで私が思っただけですが)
宗教家は永遠の苦しみの世界、地獄を好んで説きます。
悪行抑止の為ならまだしも、他の宗教を信じたり、戒律を破ったりしただけで
永遠の地獄へ行くとまで主張したりします。
そればかりか、あの世に行っても階層やカーストがあって高い階層に行くために
は寄付や奉仕をしなければならないみたいに説いたりします。
でも、私が感じたあの世はほんの一部かもしれませんが、決してそんな
窮屈な世界ではありません。前述したように最終的ゴールは「永遠の至福」です。
我々は「永遠の至福」の世界から一時、この世界に冒険をしに来ている
だけと私は考えています。やがて元の至福の世界に戻るわけです。
あの世を必要以上に賛美するつもりはありませんが、人間は死後安らかに過ごすことが
できるのだということ、あの世は公平な世界であること、死を恐れる必要はない。
死後の不安を抱く必要はないということを何らかの形で伝えていきたいです。
【追伸 2021/11/7】
1: PSYRYU ◆lrQ7vbLsTk :2021/10/31(日) 14:13:18 ID:3YVvsZm.0
私事で申し訳ないですが、本日父が亡くなりました。
昨日まで元気でしたが、今朝他界しておりました。
往診の先生から、自然死という診断を頂きました。
(一応病名を記載して頂きましたが自然死と変わりないとのことです)
苦しまずにコロッと逝けたので理想的な死に方だと考えております。
69: PSYRYU ◆lrQ7vbLsTk :2021/11/04(木) 19:15:24 ID:0tZSNsWU0
皆様、私の父に哀悼の祈りをしてくだり、ありがとうございます。
父に強いパワーが届いてるのがわかります。
医師の診断によると父は10/31早朝に亡くなったらしいです。
最後に息を引き取る瞬間を看取ることができませんでした。
それが心残りとなっています。不思議なことに早朝父が亡くなったと
思われる時刻にバタバタと音がして私は目を覚ましました。でも父が
トイレに行ってるのだろうと思って、そのまま再び眠ってしまいました。
その時起きていればよかったと後悔しています。朝起きて、電源のブレーカー
の一つが落ちていました。(落ちるはずのないブレーカーです)
おそらく父が亡くなる直前に私を起こすために見えない存在が落としたのだと思います。
私の予想では父が他界するのは来年と考えていましたので何の準備も
覚悟もしていませんでしたので大変ショックではありました。
でも、父は認知症が進行しており、これ以上悪化したら専用の施設に入れるしかないだろうと
考えていましたのでタイミングとしては今が一番よかったのだと考えています。
父は控えめな性格でしたので、そのせいか、虫の知らせも
夢枕に立つこともなく、何も感じることもできず、
父の死を実感することができませんでした。
頑固でしたので死後も肉体にとどまっていたと思われます。
葬式までの間、業者に遺体を預けました。
その出発の時に「お父さん、これから出発だよ」と
言ったときにふ〜と「ああ、行きたくない」という思いが伝わってきました。
父は自宅に居る時が一番安らぎを感じたようでしたので。
昨日の夜のことです。
実家で私が寝ていると冷たい感じが伝わってきました。その時わかりました。
父は冷凍庫の冷たさに耐えられずに遂に肉体から離れて、家に戻って
きたのだなあと。すぐに私と分身で父の体を温めてあげました。
83: PSYRYU ◆lrQ7vbLsTk :2021/11/07(日) 00:31:37 ID:R0oDMClg0
皆様、お祈り頂いてありがとうございます。
5日に葬儀を終えて一段落ついてます。
父の息を引き取る瞬間を看取ること(ドラマでよく見るシーン)ができなかった
のが心残りでしたが、皆さんからは
「自宅で寝ている間に亡くなったのだから、それが一番良い亡くなり方だよ」
と言われました。確かにそうですね。病院に運ばれて最後を迎えるよりも
ずっとよいかもしれません。
この機会に、あの世についていろいろ知りたいと思いましたが、
人の死後はやはり人柄によって様々ですね。父は控えめな人でしたので
やはり死後も控えめです。
業者に遺体を預けている間、何度か自宅に霊体となって戻ってきたときは
はっきりと背筋にぞぞーと冷気が走りました。「背筋が寒くなる」とは本当だったと実感しました。
現在の私はバリアと守護が強力なので霊が私に近づくことはできないのですが、父の場合は
顔パスで私に接触できたようで、バリアの機能も臨機応変であることを実感しました(笑)
父は私の近くに来ても何も言わず、静かにしてました。夢枕に立つこともなく、
物音立てるでもなくです。父らしいです。
母の時は一緒に来てと言われたり、説教されたりしたんですが(笑)
49日後に父はどんな世界に行くのか?観察したいです。
死後行く世界も人柄によって異なるんです。母は自分の世界を作って過ごしてるように感じますし、
祖母は墓地の霊達と仲良く過ごしてました。父はきっと母と一緒に過ごすでしょう。
私の死後は、あちこちの寺社を巡ったり、待合室の王室で分身に指示したりして過ごすつもりです。
また、不思議大好きなので夢枕に立つなど不思議な現象をあちこちで起こしたいですね(笑)
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