住む人によって形成されるパワースポット
2015年7月20日
先日、東京の高級住宅街である田園調布に行きました。
今までにも度々行ってエネルギーを吸収しています。ここには大変良いエネルギーが
あるからです。
高級住宅街や一等地というのは良い波動がある場合が多いです。
その理由について今までいろいろ探求してきました。最初は元々良いエネルギー
がある土地なので高級住宅街となっていったのだろうと考えていました。
または、武家屋敷があった土地や高級庭園のエネルギーも良いので人々の意識がそうさせているのではないか?
つまり「高級なものは良い」という共通認識がそうさせているのではないか?と思っていました。
しかし、田園調布を調べていくとそれだけではないことが分かってきました。
周辺の環境を考慮したり、周辺の町の波動を調べても元々この地域が良い
波動であったという際立った理由は見つかりません。
もちろん環境が良い土地であることは間違いないのですが。
土地を調べても宇宙からエネルギーが注入していると思われるスポットは少ないです。
多摩川浅間神社に注入スポットを見つけましたが他には見つかりません。
この地域がとりわけ宇宙エネルギーが多く注がれているわけでもないのです。
むしろ近くの「洗足駅」周辺の方が大量に注がれています。
街を歩いても高級な住宅がある以外は普通の街であり、観光地や庭園に漂って
いるような「人の集合意識」の波動も感じられません。
ではエネルギーはどこから来るのか?
最近、その理由は土地にあるのではなく、住む人が集めているのではないか?と
思うようになりました。その根拠として兵庫県の芦屋の波動も同様なことが挙げられます。
芦屋も関西では有名な高級住宅街です。元々、神戸、西宮、芦屋辺りは風水的に良い波動がある土地柄ではありますが、
芦屋の波動の良さは際立っており、風水的な原理で説明できません。
田園調布と共通点があるとすれば高級住宅街であるという点だけです。
また、私の近所に豪邸が建ちました。駅から近くて環境が良い場所なのでかなり
高い物件であることは想像できます。空地の広告を見てもビックリするほど高かったのを覚えています。
「きっとお金持ちの方が来られるのだろうなあ」と思っていました。
そして、家が完成してあるご家族の方が引っ越してきました。すると周囲のエネルギーが変わりました。
「ここに引っ越してきたご家族が運気の良いエネルギーを運んできた」と波動ではっきりわかりました。
それで土地のパワーは住む人が呼び込む面もあるのではないか?と考えるようになりました。
●エネルギーも格差社会なの?
お金持ちの人達が住む土地は良い波動があり、益々運気が良くなる。
こういう話をすると人は様々な反応を示します。高級なものにあこがれる人は
当然だという考え方をしますし、平等を望む人は「そんなことはない」
「見えない世界も格差社会なのは解せない」と否定的な反応を示します。
私は単にエネルギーの現象のみに興味を持っていますので格差など関心はないの
ですが、多くの人は金持ちの方がますます運勢が良くなることには抵抗を
感じるようです。そこで私の見解を述べたいと思います。
私の見解は「格差があるのはこの世の常であるが、決して不公平ではない」
ということです。
ここからは私の感覚が根拠の話でとても研究結果と言えるものではないので
あくまで私の意見として読んで頂きたいです。
前述しましたが、田園調布のエネルギーを分析してみると宇宙から注がれる
純粋なエネルギーとはちょっと違います。また地層・地殻がもたらすエネルギー
ともちょっと違います。間接的にはそれらのエネルギーが含まれていますが。
また、風水的なエネルギーや山岳・河川がもたらすエネルギーでもありません。
何か宗教的なエネルギー、神仏などのエネルギーに近いものが感じられます。
でも、どの系統かは特定できないです。
神社系でも、仏教系でも、キリスト教系とも言えないです。どこの国、文化圏
とも言えないです。これらの良い物を全て含んでいるように感じるのです。
あれこれ考えた結論はこうです。
「世界中の神仏、霊的世界、人の想いなどの良い要素のブレンド」
ということです。
つまり、田園調布に住む人達は世界中の様々な地域の神仏や霊的存在、
あるいは人から祝福の念やエネルギーを受けていて、それが良いエネルギーの
エネルギー源となっているとういうことです。
ここに住む運命になった人達はそういう祝福を受ける善徳がある人が多いと言えるのです。
こう主張すると色々疑問が出てくると思います。高級住宅街に住む人にも
悪い人も居るではないか?不幸になる人もいる。それ以前にここに生まれ育った
子供は善徳など積んでいないではないか?
他所の悪い土地にも善い人は沢山いるのにどうして格差がでるの? など
ますます不公平に思えてきたかもしれません。
スピリチュアルや宗教では
「人生はその人の行いや心の持ち方によって決まる」
「善い行いは全てその人に還ってくる。悪い行いも還ってくる」
と説きますが、「現実はそのようには見えないではないか?例外ばかりだ」
と思えることが多いと思います。
必ずしも善徳を積んでるとは思えないお金持ちが神仏に守られているとは
どういうことか?
善良でも貧乏な庶民は守られないのか?やっぱり神仏の沙汰も金次第か?
などと思うかもしれません。まあそう見えるかもしれませんね。
でも私はそうではないと考えています。
それについては次の章で説明します。
●宇宙の調整は公平に行われているが長い時間を掛けている
先ず最初に言っておきたいことがあります。
「人生は公平である」ということは事実ではないということです。
立派な人が報われない人生を送った例は枚挙にいとまがありません。
また、歴史を見ればわかる通り、公平な社会制度が整ったのは
つい数十年前であり、それ以前はありとあらゆる非道・人権侵害が横行していたのです。
「世の中、一寸先は闇」と言われた通りです。
現代でも世界の各地で理不尽なことが横行していることはニュースで毎日のように
報道されています。
不幸になった人は「マイナス思考で不幸を引き寄せている」とか
「日々の悪い行いの鏡の法則だ」などと解釈することには無理があります。
単純に「力のある人」「するい人」が幸せになって多くの弱者が不幸になっている・・
つまり「弱肉強食」が現実に近いようにも見えてきます。
では所詮、全て不公平なのか?というと私はそうも思いません。
不公平に思えるのは人の一生という短い期間で考えるからそう思えるわけです。
人の人生はせいぜい80年くらいです。昔はもっと短かったのです。その間に
因果応報の帳尻をピタリと合わせる事自体に無理があります。
私が神仏の働きを見て分かったことは神仏の守護やご利益はその人の
存命中だけでなく、死後、来世にも作用しているということです。
寧ろ、人生の後にバランス調整をしているように見えるのです。
現実の残酷さによって報われない人生を送った人が居ても神仏は後で
バランス調整をしてくれているように見えます。
むしろ「忘れた頃に報いる」ことの方が多いようにも見えます。
前世や先祖が徳を積んだ人はどういう風に見えるかというとほとんどの場合、
前世の自分や先祖が信仰していた神仏、縁のある霊がたくさん守護している
みたいに見えるのです。逆に悪徳を積んだ人は悪霊みたいなエネルギーが
たくさん邪魔しています。霊感がある人にとっては善徳を積んだ人と
悪徳を積んだ人では全然違う世界に生きている人みたいに見えるはずです。
前述の田園調布の人達を守護している神仏の数の平均を測定してみると
一般の人とはケタが違う数となってます。それはここに信心深い人が集まったから
というわけではなく、前世や先祖の徳に対して多くの神仏が守護を与えているということだ
と思います。とくに前世が多いと思います。
なぜならば世界中の神仏のエネルギーのブレンドに感じられるからです。
ありとあらゆる系統の神仏、霊的世界、あるいは人々の祝福や感謝の念などのミックス
に感じられます。特定の系統や傾向ではないのです。
ありとあらゆる宗教・人種・文化・地域・生き方の人達がランダムに集まっているのであり、
特定の人達がだけが選別された訳ではないのです。共通するのは「善徳」だけだと思います。
そういう意味で先ずは公平なのです。宗教が説くみたいに「○○の信仰をしてる人だけが
幸せになれる」「○○の教えを守った人だけが救われる」みたいなことはないということ
を示していると思います。天地を創造した唯一神を崇拝しようがお稲荷さんを信仰しようが
アフリカの土着神を信じようが、左翼だろうが何だろうが関係なく生き方によってのみ
未来の幸福が決まるということです。誰しもが品行によって公平に報われているのです。
高級住宅街に住む人はそういう過去の因果によるバランス調整の結果、祝福されている
人が多いように感じられます。全て個々にそれなりの理由があるのだと思います。
中には祝福に値しないような人も居るかもしれません。でも、長い目で見れば
祝福されるような人だったのだと思うわけです。
全ては長い時間を掛けてバランスが取られてて最終的には公平になっていると思うのです
バランス調整は何百年もの長いスパンで行われているので近視眼的な人間には
それが理解できないことも多々あるわけです。
以上が私の考察ですが、これを読むと
「自分は徳が無いんだ。だから不幸な人生を送ってるんだ」
とがっかりしてしまった人も多いと思います。
でも、それも短期的な見方です。今不幸な人がずっとそういう人生を送る運命とは
限りません。むしろ昔から「大器晩成」と言われるように晩年に幸せになる人も多いです。
人間の煩悩の一つにはこの近視眼的視野もあると思います。不幸が続くと人は自分は
永遠に不幸な運命なんだと思ったりします。子供時代に恵まれなかった人は一生そうだと
思いこんだりします。しかし、現実はそうでもないです。
今幸せな人はその結果の受け取りの時期にあるだけです。
前述の通り受け取るに値する理由があり、それを受け取る時期が来ているだけだと考えてください。
また、受け取った後どうなるかは今のその人の生き方によって決まりますので未来永劫幸せ
ということでもないのです。
今まで受け取ることができなかった人はこれから受け取りの時期が来るかもしれないです。
時期やタイミングは人それぞれですが、受け取りの帳尻は神仏が公平に調整してくれている
と考えてください。そう考えれば嫉妬心など薄らいでくるでしょう。
いずれ自分も幸せになる時期が来るのだと希望が持てますよね。
「いくら努力したって成功なんか、できるわけない」と自暴自棄な考えを持つよりも
「もしかしたら、成功できるかもしれない」と希望を持って人生に賭けて頂きたいです。
たとえ成功できなくても、努力したことは神仏が見ています。
誠意や志を持って努力してきた人は必ず神仏の守護が付きます。報われなくても
未来の自分がその報いを受けます。
昔から言われている「天は見ているぞ」というのは道徳的方便ではありません。
神仏を感じ取れる人にはそれが事実であることがはっきり分かります。
神様には隠し事はできないし、ごまかしもできないのです。
そして、努力したことも全て見てくださっているのです。