□□名言集2 PSYRYUのつぶやき 2022年9月分から抜粋

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◆名言集2◆
[PSYRYUのつぶやき]に掲載した名言です。
ピンと感じるものがありましたら幸いです。
私の言葉は名言ではなくてただのつぶやきです(-_-;)

どうにもならない苦しい時、よく易占いをしたものである。
その時、出てうれしかったのが「天雷无妄 -てんらいむぼう」である。
今はどうしようもないから時が経つのを待つという卦である。
この卦は絶望ではなくて我慢してればやがて春が来るよという卦でもある。
それが一番心の支えとなったのである。どうしようもない時はそう考えて
悩み過ぎないようにゆっくり眠る方がよいと思う。

人間は分不相応な富や宝物を持っていても幸せにはなれないものである。
一番わかりやすい例として美貌・容姿が挙げられる。世の中には自分が醜いと
思い込む精神疾患(醜形恐怖症という)に悩む人がいる。なんとその中には
周囲の人には美男美女に見える人が意外にも多いと聞く。
その理由を私はこう分析する。美形の人は一般的に周囲の人に好かれるのだが
人間関係が苦手な人、内気な人などは周囲に愛嬌サービスができないと
返って誤解され、悪い印象を与えやすく、いじめられやすい。
目立つことが嫌いなタイプだと
「なんで自分はいつも注目されるんだろうか?
 自分に何か問題があるんだろうか?」
と悩んだりする。更に思春期になると級友から嫉妬される。
もう一つ、ありがちなのが「不細工、ブス」などといじられやすい事もある。
イケメン・美人女優などがドラマで三枚目やブスを演じたりすると微笑ましい
ものであるが、現実でも人はそういう感覚をもってしまいがちである。
美男美女だから容姿をけなしてもしゃれで済むと軽く考えていじってしまうのである。
それで当人は本当に自分が醜いのだと思ってしまったりするのではないか?
美男美女の俳優などが自死したりして、周囲の人は「なんでだろう?」といぶかるが
当人にとってはそれで注目されたり成功したりすることが重荷だったのかもしれない。
これは一例である。財産にしても、能力にしても同様である。不相応なものを
持っても重荷になる場合があるのである。
何でも宝を手に入れようと渇望するのではなく、
今の状況の自分が相応で幸せなのでは?と考えてみてほしいです。

PSYRYU

われわれは自分を評価する物差しを使って他人を評価しないことがあまりに多い。
トマス・ア・ケンビス

人間に欠点はつきものである。完全無欠の友人を探しても、理想通りにはいかない。
我々は自分の欠点は棚に上げて自分を愛しているのだから、友人も自分同様に愛すべきである。
キュロス大王

私はこれまでに、世界各地の大勢の立派な人々と付き合ってきたが、どんなに地位の高い人でも、
小言を言われて働く時よりも、ほめられて働く時のほうが、仕事に熱がこもり、出来具合もよくなる。
その例外には、まだ一度も出会ったことがない。
チャールズ・シュワップ

相手に気に入られる最上の方法は、あなたが聞いたとおりに、相手が語ったことを
再び語ることだ。
マーク・トウェイン

できれば、人より賢くなりなさい。しかし、それを人に知らせてはいけない。
チェスタフィールド

過去に自分の教養や能力をアピールしようとする人達の涙ぐましい努力を目にしてきた。
ある人は自分が研究したとする文化論や歴史論をあんまり関係のない同人誌に投稿していた。
その記事にはよくわからない専門知識ばかりが羅列してあったのを覚えている。
「お前ら、全然内容がわからないだろ? 俺はこんなに賢いんだぜ」という感じである。
ある人は自費出版の写真集やら本を配っていた。しかし見る気にも読む気にもならない。
自分の技量や知識をひけらかすだけのものだったからである。
高校時代のある理科の先生は文人や詩人の名前や句をふんだんにちりばめた文章を
事あるごとに発行して配布していた。しかし、何が言いたいのかさっぱりわからない。
その努力は認めるが、はっきり感想を言うと何にも心に響かないし凄いとも思わない。
その理由は、目的が「俺は能力・教養があるんだぞ」とアピールしたいだけだからである。
そのドヤ顔的な波動が染みついていて気持ち悪さすら感じてしまう。
別にその人達の教養や能力をけなすつもりはない。努力したことは認める。
だが、彼らのアピールの仕方には重大な欠陥がある。
読者、見る人の役に立とうという気持ちが全くないのである。これでは逆効果である。
人から評価されたければ、他の人の役に立つように活用するだけでよいのだが、
それに気づかず、自慢合戦と議論に明け暮れて何の評価も得られない人が結構いるものである。
PSYRYU

どんな人間でも、完全な嘘つきになれるだけの優秀な記憶力は持ち合わせていない。
エーブラハム・リンカーン

もし、今の生活に不平不満ばかりが募ったり、収入や恋人(伴侶)に不満ばかり感じて
しまうなら、ちょっと考えてみて欲しい。もしかしたら自分はメディアの誇張された情報や
CMなどによって不幸だと思いこまされているのかもしれないと。
それらが伝える「絵に描いた餅」と自分の世界を比較して不満に感じてるだけではないか?
と考えて欲しいです。
そんな仕掛けをしている誰かの成績アップや出世のために、
あなたが不幸だと思わされて苦しむ理由などないのです。
自分の幸福は自分で判断して欲しいです。

人とは悲しい事に過激な主張や断定を信じてしまうものである。
ネットでも「これを見るだけで〇〇になれる」「見るだけで金持ちになれる開運動画」みたいな
過激なタイトルを入れたものが人気ランクに上がる。
そして過激で刺激的な陰謀論ほど人は信じやすい。
私もサイト運営してきてタイトルを派手にしただけでアクセス数が上がったり
流行ったりする実態を目の当たりにしてきた。
サイト運営してきた私には、ネットの世界はジャングルのようであり、
過激な論調や、断定的なタイトルをつけてアクセス数を稼ごうとする
狡猾な人間達が獲物を狙っている様子が見えてきてしまう。
過激な主張に心動かされたり、信じてしまうのは人間だからしかたない。
でも一度は疑いを持って振り返る習慣を身に着けてほしいです。
PSYRYU

現代生活は忙しい。用件はさっさと述べ、言うべきことを言ったら、
そこで話をやめて、相手に話の場を譲るほうがいい。
デール・カーネギー

人と話をする時は、その人自身のことを話題にせよ。そうすれば、
相手は何時間でもこちらの話を聞いてくれる。
ベンジャミン・ディズレーリ

何事もとことん極める男がいた。しかし、何故か人からは好かれない。
そこで男は人に好かれる方法をとことん研究したのである。性格改善、魅力アップ、
心理学など。徹底して研究した結果、ある結論に到達した。それは
「人から好かれない原因は自分のことしか頭にないからだった」
ということである。人から好かれる方法は、性格改善やら教養を身に着ける
ことよりももっと簡単な方法があることに長年の研究で気づいたのである。
それは、会った人や周囲の人に関心を持ち、気に掛けて、声を掛けたり、
困っていたら手を貸したりするという簡単なことを積み重ねるだけでよかったのである。
PSYRYU

誰にも過去の失敗や隠したい恥部などがあるものである。
それを悪意や興味本位で暴く事は重大な罪ではないだろうか?
現代では人の恥部を暴くことを正義だと思ってる人が多いようだが
正義ではなく大罪だと私は思う。
神様はいつも「隠したいことを隠すのはその人の権利である」
「理由もなく、人の秘密を暴いてはいけない」と伝えているように感じている。
ということは誰しも人に言えない秘密があるということである。
決してあなただけではない。

人間は動物の一種だから自分のテリトリーを守ろうとする本能がある。
だから、ライバルや競合者に対して敵意やストレスを感じてしまうのだ。
それを理解しないと人間関係を損ねることになる。
こちらから相手のライバルや自分の自慢話を出してはいけない。
相手のことを話題の中心にするべきである。
そして、決してその人の前でライバルや競合団体を誉めてはいけない。
そのことが分からなくてべらべらと競合者やら自分の話をしゃべり、
「今日は楽しかった。これであの人とも親しい仲になれた」と思ったのに
次から呼ばれなくなり、「何で私は嫌われたのだろうか?」
と悩んでいる人が結構いたりする。私も昔、そうだった(笑)

人は相談してきた相手に「あなたのその考えや生き方の間違いが原因なのです」などと
自己陶酔しながら説教したくなるものである。それで
「人を指導してあげるって気持ちいい。今日は善いことして気分がよかった」
と思ったりするがそれを数回繰り返したら、
その相手はもう二度とあなたには相談しなくなるだろう。
そしてその人との縁を失ってしまったことに後で気づくであろう。
PSYRYU

口論は誰にでもできるゲームだが、双方とも決して勝てない奇妙なゲームだ。
ベンジャミン・フランクリン

扱いにくい相手とうまく付き合うには相手が何とか自分を優秀に見せようとして、
躍起になっていることを念頭に置くことだ。そしてその観点から相手と付き合ってみることだ。
アルフレッド・アドラー

自分の心の中で正しいと信じていることをすればよろしい。しても悪口を言われ、
しなくても悪口を言われる。どちらにしても批判を逃れることはできない。
エリノア・ルーズヴェルト

虚弱な者にとって、朗らかな顔は上天気と同じくらいうれしいものだ。
ベンジャミン・フランクリン

どんな馬鹿でも、あら探しをしたり、難くせをつけたり、苦情を言ったりできる。
そしてたいていの馬鹿がそれをやる。
ベンジャミン・フランクリン

語り合ってみて理性も好感もかんじられない人間が多いのは、自分の言いたいことで
頭がいっぱいで、相手の言葉に耳を貸さない連中が多いからだ。
ラ・ロシュフコー

20年くらい前のネットの黎明期、UFOのことを話題にすると必ずと言っていいほど
「UFOとは未確認飛行物体という意味だよ。宇宙人の乗り物という意味じゃないよ」
とドヤ顔でつっこむ人がいたものである。それが定期的に繰り返されたのである。
みんな「俺って頭いいだろ?」と言いたげであった。
「UFOの言葉の定義を議論しているのではありません」とタイトルに入れてから
議論しなけばいけないかなと思ったほどである。
似たような例として
「オカルトとは隠されたものという意味だよ。お前らピントが外れた議論してるよ」
「ホームページとはWEBページのトップページのことだけを言うんだよ。
 みんなそんなことも知らないで議論してたの?」
「熱帯魚とは熱帯に住む魚をいうんだよ。観賞魚のことだと思ってるの?あきれるね」
「広辞苑によると・・・が正しい意味なんだよ。お前らの議論は根本から間違ってる」
みたいに言葉の定義を持ち出して議論の腰を折って目立とうとする人が必ずいるのである。
「言葉には広義、狭義、俗な意味など複数の意味・使い方がある、
 そんなことも知らないとは、あんたは国語の教養がない無学だということだ」
と言い返したくなってしまうが、それは抑えてきた。
人は知ってることを自慢して馬鹿にしたくなるものである。だがそんな人は尊敬などされない。
相手が困ってる時にやさしく知ってることを教えてくれる人が尊敬されるものである。
PSYRYU


人の成功や幸福はかなりの割合、運が関係しているように見える。
たまたま成功の波に乗ったとか災いをスルーできたとかである。
人はうまくいくとそれが自分の才覚によるものだと言いたがるものである。
そういう奴の言うことなどスルーすればいい。
逆もまた真である。うまくいかない人の多くも時代の波とか運(情勢、災難)による
ものが大きいと思う。だから自分がダメなんだと落ち込む必要はない。

自分の過去のある時代が暗黒だったと思う人は記憶を塗り替えてしまおう。
嘘で塗り替えるわけではない。解釈を変えるのである。
暗黒の頃でも悪いことだけだったわけじゃないはず。
いい事もあったはず。それを思い出して、ノートに列記して
記憶に鮮明に叩き込み、悪い時代でもなかったと解釈を変えるのである。
記念写真が好きな人は、同じことをしている。
楽しい思い出を撮影したアルバムを眺めている。
これも潜在意識活用の知恵だったのである。

PSYRYU

相手と意見が食い違う時は、敵意をむき出しにしないで、
相手を敬愛している気持ちを表情にも行動にも言葉にも表すよう、努めることだ。
ピール・ダグラス上院議員

自分にできる限度をほんの少し超えたことを、毎日ひとつ実行せよ。
ローウェル・トマス

インターネットは誰もが腕次第で世の中に役立つことを発信することができる。
一方、誰もが簡単にとてつもない罪を作り出すことができる。
私は誹謗中傷、嫌がらせを趣味にしていた人間が後で廃人のようになった事例を
たくさん見てきた。
人を傷つけることが好きな人はこの誘惑の罠にはまらないよう注意すべきである。
誰もが一人で簡単に、外出もせずに、効率的に罪を犯せる恐ろしい誘惑であるから。
PSYRYU

成功の秘訣は、よい機会がやってきたら、直ちに迎えられる心構えができていることだ。
ベンジャミン・ディズレーリ

過去を建設的なものにする方法は、天下広しといえども
ただ一つしかない。過去の失敗を冷静に分析して何かの足しにする。
あとは忘れ去ることだ。
デール・カーネギー

不安や悩み事がで心が潰れそうな時、日本にはよい方法がある。
神社の絵馬に悩み事を書いて神様に任せてしまうことである。
それで気分が楽になるはずである。
神秘のお部屋の神様や分身にお任せしてもよい。
PSYRYU

動作は感情に従って起こるように見えるが、実際は、動作と感情は並行するものなのである。
動作の方は意志によって直接に統制することができるが、感情はそうはできない。ところが、
感情は動作を調整することによって間接に調整することができる。従って、快活さを失った場合、
それを取り戻す最善の方法は、いかにも快活そうにふるまい、快活そうに喋ることだ。
ウィリアム・ジェームズ

あらゆる出来事の最も良い面に目を向ける習慣は、年間1000ポンドの所得よりも価値がある。
サミュエル・ジョンソン

われわれは幸福も不幸も大げさに考えすぎている。自分で考えているほど幸福
でもないし、かといって決して不幸でもない。
バルザック

人生にとって最も損なことは、自分をよく見せようとする人達の誇張を
真に受けて、他人はみんな立派だと錯覚して苦しむことである。

私は、大勢の有名人・芸能人と面識があると自慢話をする人に過去、何人も会う機会があった。
しかし、その人が有名人・著名人と本当に接触していた証拠を見た事は一度もない。

PSYRYU

人間が幸福であるか不幸であるかは、その人の人生に起こるさまざまな出来事を
どういう眼で見るか、ということにかかっており、そうした出来事の性質そのものには
それほど関係がないということを、私はますます信ずるに至った。
ヴィルヘルム・フォン・フンボルト

愚か者は幸福がどこか遠い所にあると思い込んでいる。
利口者は幸福を足元に育てる。
ジェームズ・オッペンハイム

一つの点で幸福になれなければ、他の点で幸福になればよい。
こうした目標転換をするには処世訓はあまり役にたたない。
なぜなら、健康と人柄のよさが一番の問題だからだ。
多くの人間が幸福を追い求めるさまは、まるでうっかり者が帽子を
追いかけるようだ。
ちゃんと手にするか頭にかぶっているのに、自分では気がつかない。
ウィリアム・シャープ

医者の薬も匙加減(いしゃのくすりもさじかげん)
医者がどんなに良い薬を使おうとも、分量が正しくなければ効き目はない。つまり、匙加減が大切だということから、何事も適度が大切だという戒め。

頭寒足熱(ずかんそくねつ)
頭部を冷やし、足をあたためるのが健康によいという、古来からの健康法の一つ。

能書きの読めぬ所に効き目あり(のうがきのよめぬところにききめあり)
薬の効能書は、理解できない難解なことが書いてあったり、読めないような細字でぎっしり書いてあるところが、かえってその薬に効き目があるように思わせるということで、物事はすべて見えてしまうとありがた味が薄れることのたとえ。

東京にいつでも行ける場所(埼玉)に育った私はいつも驚くことがある。
東京から遠い地域出身の方ほど東京に憧れたり幻想を抱いていたり
していることである。私にとって東京は特別な場所でもないし、ショールームは
豪華な商品で飾られているが、金が無ければ買う事はできないのでTVや雑誌の
中のCMとなんら変わらない。何で東京に憧れるのか?不思議なのである。
東京に来れば高級マンションで豪華な品に囲まれた暮らしができると思っている人が
今でもいるのだろうか? そんな生活ができるのは金持ちだけである。
地方でお金がたまったら東京に買物ツアーに行ったり、TDLで遊ぶだけで十分楽しめる。
人は夢の世界に憧れるものであるが、夢の世界などこの世にはないと思った方がいい。
夢の世界を探すよりも今いる場所で夢を実現させる方が簡単である。
PSYRYU

似合い似合いの釜の蓋(にあいにあいのかまのふた)
釜にはいろいろな大きさや形があるが、それぞれに合った蓋があるということで、どんな人にもふさわしい相手があるものだというたとえ。

親は泣き寄り他人は食い寄り(しんはなきよりたにんはくいより)
不幸な出来事があると、身内の者は心から悲しんで集まって来る。しかし、他人は表面的には同情してくれるが、実際は出される御馳走が目当てだということ。
(彩竜コメント)近所で葬儀があると呼ばれもしないのに家族連れで訪れて振る舞いを食べまくり、
空の香典袋を納める厚顔無恥な家族がいるとか・・他人とはそんなものです(笑)

これは私の経験だが、人との出会いで一番重要なのは最初の挨拶・印象である。
であるから、新しい人との顔合わせには最も力を入れるべきである。
最初の印象が悪いとそれが後々まで尾を引くことがある。
人間とは最初の印象で相手との距離感を測り交際のレベルを決めてしまう
動物の頃からの防衛本能があるからである。
だから、挨拶や第一印象を軽視する人は人間関係で損をすることになりやすい。
中2病みたいに「礼儀なんぞは形だけのもの。人間同士の心でつきあうべき」などと
気取る人がいるが人間関係を難しく考えすぎている馬鹿である。
もし、最初の印象が悪かったとしても努力によって挽回することは可能である。
逆に最初の悪印象を覆すことでもっと印象を良くするテクニックもある。
だから、挨拶で失敗してもあきらめる必要はない。
過去の失敗をくよくよするともっと印象が悪いので注意する。
また、相手が気を使って挨拶してくれた時は忙しくても、疲れていても
一時でよいので愛想よく答えるべきである。大げさなくらいがいい。
避けてしまうと最も悪い印象を与えることになる。
「あなたとは付き合いたくない」と嫌ってるように誤解されやすい。
PSYRYU

合縁奇縁(あいえんきえん)
人と人とがめぐり逢い、また愛し合うようになるのは、これすべて縁によるものである。人と人とのめぐり逢いには縁という不思議な力が働いているということ。

愛は小出しにせよ(あいはこだしにせよ)
愛は細く長く保つことが秘訣で、あまりに激しい愛は続きしないものだという戒め。

愛は憎悪の始め(あいはぞうおのはじめ)
愛することも、なれすぎたり甘えすぎたりすると、それがたがいに憎み合うもとになるということで、愛にも節度が必要であることの戒め。

焼け木杭には火がつき易い(やけぼっくいにはひがつきやすい)
燃え残りの木は、表面が消し炭のようになっているので火がつきやすいことから、前に関係のあった者同士は、一時期縁が切れていても、また元の関係に戻りやすいものだというたとえ。

碁で負けたら将棋で勝て(ごでまけたらしょうぎでかて)
何か一つのことで失敗したら、いつまでもそれにこだわっていず、別のことで取り返せということ。

千人の諾々は一子の諤々に如かず(せんにんのだくだくはいっしのがくがくにしかず)
人の言うなりに従う千人の者は、自分が正しいと信じることを堂々と主張する一人に及ばないということ。

柳に雪折れなし(やなぎにゆきおれなし)
柳の枝はしなやかだから、雪が降っても適当に振り落とすので折れることがないように、柔軟なものは剛堅なものよりも適応性があって、かえって丈夫であることのたとえ。

世の中は九部が十部(よのなかはくぶがじゅうぶ)
世の中というものは、自分が思うようにはなかなかいかないものだから、望みが九分通り達せられたら満足しなければいけないという教え。それ以上に欲深く望むとかえって失敗するものだという戒め。

河童の寒稽古(かっぱのかんげいこ)
河童は年中川に住んでいるから、寒中水泳の稽古は一向苦にならないところから、はた目には苦痛のように見えても、当人は苦しくも何ともないことのたとえ。
(彩竜コメント)人間何でも馴れてしまうものである。習慣にさえすればいいのである。

若い頃の苦労は買ってでもしろという言葉があります。
この言葉の意味は、若いときは楽な方に立ち回ってばかりおらず、
困難な事であってもそちらを敢えて選択し、苦労を経験しなさいという意味で使われています。
つまり自ら苦労を買ってでも経験を積み重ねなさいという前向きな言葉です。
私はそういう意味だけでなく「若い頃の苦労は天が苦労を軽くするために前倒しで与えたものだから後悔するな」
という解釈もしています。いろいろな例があります。例えば学生の頃、受験勉強や部活などで遊ぶ暇もなく辛かった
という人がいますが、他の人は「あんたは若い頃鍛えられて有能になれたんだからうらやましい。大人になって
からじゃ、なかなか自分を鍛えられないんだよ」と言うでしょう。他の人はうらやましがっていたりするのです。
また、恵まれた学生時代を送った人に「あなたは若いころの楽しい思い出が一杯あってうらやましい」と
言ったら「昔の幸せなんて何の役にもたたない。それよりも今の生活だよ。苦しくてしかたない。
あんたは将来の生活の目途が立ってるみたいだな。その方がずっといいよ。うらやましい」と言われました。
社会人になってから、仕事を失ったり、病気になったり、不祥事や色恋沙汰で苦労したりする人をたくさん見聞きしてきました。
逆に私はそういう深刻な苦労をせずに済んだのです。(長時間ブラック労働で大変ではありましたが)
もしかしたら、私は社会人になって転落しないように前倒しで若いころに苦労させられたのかもしれません。
神様から「社会人になってから苦労したら大変なことになる分、若い頃に前倒して苦労を償却してやった。
それを感謝しろ、今楽できているのに、過去も楽しく過ごしたかったなんて贅沢ばかり言うな」と言われたことがあります。
それが本当かどうかは検証できないですが、たぶんそうだと思います。
若いころは失敗しても許されるし、リセットできる。
また苦労を乗り越える体力もあるし、別な道に転向することもできる。
そういう時期に負債を返済してしまった方が得策ということはあると思います。
たんなる都合のよい運勢の解釈かもしれませんが、過去をくよくよ嘆いたり、親や境遇を恨むよりも
そう前向きに考える方が幸せだと思います。
「あの時〜だったら、〜がなければ、あの時幸せだったら、今も幸せが続いていたはず」と考えるのはほとんど妄想でしょう。
人々の集合意識に幸不幸は公平であるべき、正負の法則があるべきと考える人が多いので幸不幸のバランスを取ろうとする
力が働いています。一生涯、最初から最後まで幸福が続く人なんて滅多にいないんです。
「過去、幸せだったら、きっと今頃、その分苦労していただろう。先に苦労しておいてよかったんだ」
と考えた方がいいです。
PSYRYU

人の七難より我が十難(ひとのしちなんよりわがじゅうなん)
他人の欠点はあれこれよく目につくが、自分にはそれ以上の欠点があっても、自分のこととなるとなかなか気づかないものであるということ。

人の短を道う無かれ己の長を説く無かれ(ひとのたんをいうなかれおのれのちょうをとくなかれ)
他人の欠点を非難してはならず、自分の長所を自慢するようなことをすべきではないという戒め。
(彩竜コメント)他人のあら探しや文句ばかり言ってる人と自慢ばかりする人は好かれません。

面々の蜂を払う(めんめんのはちをはらう)
他人のことをとやかく言う前に、まず自分のことを省みなければいけないという戒め。

 以前、知り合いの男が私を含む友人・知人にメールを送って
「ネットの俺の書き込みにいいねを押してくれ!」と自慢げに依頼してきた。
どんな面白い書き込みをしたのだろうか?と期待したが・・がっかり (+_+)
タレントF山さん(当時、大河ドラマの主人公をしていて人気絶頂だった)を
ボロクソにけなす書き込みであった。
驚いたのが、そのサイトはF山さんをみんなで貶めている男の嫉妬クラブであった。
しかも、その人はそのサイトの中でもいいねを稼いで優位に立とうと競っていて、
友人などにいいね依頼をしていたのである。「恥知らず」とはこのことである。
人間だから嫉妬を感じるのは仕方ない。
でも、嫉妬の為に誹謗中傷や嫌がらせをするほどみっともないことはない。
酒の席の話題くらいならネタで済むが、本気で情熱を燃やす人間など気持ち悪いだけである。
もし、誰かに嫉妬を感じてしまったとしても、
「俺は自分を磨いていつか追い抜いてやる」と黙って努力するか?
「人は人、自分は自分」とあっさり割り切るか?
そう思って口にしない方が得策である。
嫉妬による悪口など、いくら立派に論じても周囲は評価などしてくれない。
言えば言うほど心象が悪くなって損をするだけである。
自分が嫉妬に動かされてることに気づかず、正義の闘いをしてると勘違いしてる人もいる。
そういう人には関わらない方がいい。
PSYRYU

過ちては改むるに憚ること勿れ(あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ)
過失を犯したと気づいたら、周りの人や体裁などを気にしてためらうことなく、すぐに改めなければいけないという戒め。

生きの臭きは主知らず(いきのくさきはぬししらず)
自分の息の臭いのは本人はわからないように、自分の欠点には気がつかないものだというたとえ。

易者身の上知らず(えきしゃみのうえしらず)
易者は他人の運命は占うが、自分の運命に関しては全くわからないという意で、他人のことはいろいろわかるが、自分のことになると正しい判断ができないことのたとえ。また、他人を批判するより自分を省みよ、の意味にも用いる。

昔、インテリ達の集まりで、私は死後の世界について話題にしました。
丹波哲郎氏の本や心霊研究家の理論などをもちだしたところ、軽蔑のまなざしを受けて相手にされませんでした。
後日、有名な科学者が「死後の世界はあるかもしれない」と論じる本を紹介して話題にしたところ、
みなさん、「確かにあるかもしれないなあ」と真面目に興味をもってくれました。
どちらも内容は同じなのにです。彼らは本当に学問や理論を頭で考えて判断しているわけではなく、
権威や高尚な学問的表現によって内容を判断してしまう人達なんだとそこでわかりました。
それが悪いとか、そういう人達を愚かだと言う気はありません。インテリにはそういう傾向があると言うだけです。
彼らの中にはあの世や霊を信じたいけど雰囲気が低級に感じる人や文章だと信じられないと悩んでる人もいます。
学問的表現で判断するのではなく、自分の頭で判断すればいいのにと思ってしまいます。
どうやら現代人は頭で判断してるつもりで、実は見かけや表現、雰囲気に惑わされているようです。
PSYRYU

三寸の舌に五尺の身を亡す(さんずんのしたにごしゃくのみをほろぼす)
不用意に余計なことを言ったために、災いを招き身を滅ぼすことが多いという戒め。

問うに落ちず語るに落ちる(とうにおちずかたるにおちる)
人から聞かれると用心して漏らさないような秘密でも、自分から話をしているときは、ついうっかりして話してしまうものだということ。

まだ早いが遅くなる(まだはやいがおそくなる)
まだ早いとのんびり構えていると、結局手遅れになってしまうということ。油断は禁物という戒め。

現代は情勢が目まぐるしく変化する時代である。コロナの状況を見れば明らかである。
であるから、流行の波に乗ろうと変化に右往左往するよりも、しっかりと独自の道を守って
人にはできないものを築いていく方が得策である。
トレンドを追い求めるだけの人はいつまで経っても競争に敗れて日の目を見ないし、
結局、独自の結果を残すことができない。
PSYRYU

言いたい事は明目言え(いいたいことはあすいえ)
思ったことをその場ですぐ言わないで、よく考えたうえで言えば失敗することはないということ。腹をたてたり興奮したりしているとき、感情のままに言いたいことを言うと、後で悔やむことになるという戒め。

煽てと畚には乗り易い(おだてともっこにはのりやすい)
人からおだてられると、誰でもいい気になって失敗しやすいということ。

作業中に事故にあった方がその時何を考えていたか?の調査で1位はお金だったと聞いたことがある。
それだけ人はお金のことを常に考えているのである。
お金で人は態度や意見を手のひらを反したように変化させる。それほど人はお金の事が大事なのである。
だから、注意が必要である。所得や財産のあるなしで接待の態度を変えたり、ない人を軽視してはいけない。
もし財産を持っていたとしても他人に自慢してはいけない。そんなことをしてるといつか災いに遭うだろう。
財布や集金箱を置いたままその場を離れてはいけない。人は出来心を抱いてしまう。
(私は机の上に財布を置いたまま一時席を離れただけで盗まれた人や受付の集金箱が
 無人になったわずかな隙に開けられた現場を見たことがある。
 私自身も券売機でおつりをうっかり取り忘れた数秒間に、もうおつりが消えていた経験がある)
また、エドガーケイシーがリーディングをしていた時、関係者が全員、透視をギャンブルに利用してしまい
ショックを受けたことが本に書かれている。人間とはそういうものである。
善良な人でもお金の誘惑で豹変することがある。誘惑は与えないよう十分に注意しなければならない。
そして、楽して儲かる話によって人はあきれてしまうほど簡単に騙されてしまう。
お金はそれだけ魔力を持っているのだ。だから常に注意を払わねばならない。
PSYRYU

鴨の水掻き(かものみずかき)
のんびりと水に浮かぶ鴨も、水面下では絶えず足で水を掻き続けている。よそ目にはわからないが、人にはそれぞれ苦労があるということのたとえ。

転がる石には苔が生えぬ(ころがるいしにはこけがはえぬ)
いつも転がっている石には苔が生えるすきがない。よく働く人は病気にもかからず、いつも健康で生き生きしているというたとえ。一方、頻繁に職を変える人は技術が身につかず、金もたまらないという意味もある。

駑馬十駕(どばじゅうが)
足ののろい馬でも十日かけて走れば、名馬の一日分に追い付くことができるの意で、才能が劣った者でも、たゆまず努カすれば才能のある者に追い付くことができるというたとえ。

流れる水は腐らず(ながれるみずはくさらず)
よどんでいる水は腐るが、流れている水は腐ることがないように、いつも仕事や勉学に励んでいる人は、常に生き生きとして停滞することがないというたとえ。

一念天に通ず(いちねんてんにつうず)
やり遂げようとする堅い決意さえ持っていれば、その意志は天に通じて不可能と思われることでも実現できるということ。

運根鈍(うんこんどん)
成功するためには、辛運をつかむこと、根気よくやり抜くこと、愚直なまでにねばり強くすることの三つが必要であるという教え。

能ある鷹は爪を隠す(のうあるたかはつめをかくす)
実力のある者ほど、それを表面に現さないということのたとえ。
(彩竜評)本当に実力がある人は既に評価を受けているので自慢する必要がない。
それよりもゴシップや嫉妬によるデメリットを警戒するものである。
裏を返すと自己アピールばかりする奴は信用できない。特にネットではそうである。

恋愛経験が豊富だと言って口出ししてくるうざい奴は本やドラマを沢山見ているだけの場合が多い。
自慢話みたいなアドバイスは返って邪魔になることがある。
本当に豊富な人は嫌な想いもたくさんしているから語りたがらないのが普通である。
口だけの奴のアドバイスなどスルーすべし
PSYRYU

呪いを掛けてやったと脅す奴はほぼ間違いなく口だけの人間である。
本当に呪いが使えたなら、口にする必要などなく、秘密に使う方が得策だからである。
もしあなたが誰かから呪いを掛けたと脅されても一切恐れる必要はない。
私は呪いが使えると豪語する奴が本当に使えた例を一つも知らない。
PSYRYU

怒りに任せて手紙やメールを書いた時は、出すのを一日待つ習慣を身に付けよう。
ほとんどの場合、翌日読み返したら「出さなくてよかった」と胸を撫でおろすだろう。
PSYRYU

終わり良ければすべて良し(おわりよければすべてよし)
物事は結果さえよければ、途中の失敗や苦労は取るに足りない。締めくくりが大切であるということ。
(彩竜コメント)首席で卒業しようが最低ラインで卒業しようが卒業に変わりなし。
 途中経過の細かいことは忘れて「私はきちんと卒業できたんです」と自信を持てばよい。
 何事もそういう解釈で自分は立派に生きてきたと自分をねぎらってください。

雨垂れ石を穿つ(あまだれいしをうがつ)
雨垂れであっても、長い年月の間には、石に穴をあけることができるように、微力であっても、根気よく続ければ大きな成果を得られることのたとえ。

「昔はよかった」「昔の人は根性があったが今の若者は弱い」「今の犯罪(いじめ)は昔とは全然質が違う」
「我々の頃は古い青春映画のように若者はさわやかでは明るかった」とか大人は言うものである。
本当に今の人は劣化してるのだろうか? 実は50年前も全く大人達は同じことを言っていたのである。
私が思うには、これは年齢による錯覚だと思う。年取ると昔がよかったと思えてくるのである。
私はそれに気づいてしまったのだ。
一例として私は子供の頃、前衛的なロックやポップなど大人から「こんなの雑音だ」と言われるような
音楽を好んで聴いていた。そんな私も50代ともなると今の最先端の音楽がわからなくなってきて
「自分が子供の頃聞いた音楽が一番よかった。今はダメになったなあ」と感じてしまうのだ。
だがこれは、事実ではなく、歳のせいだと判断している。冷静に判断すると寧ろ進歩していると思う。
決して今の人達が劣化(悪化)しているということはなく、人間とは歳を取るとそう思うようになるだけのことである。
また昔の話は美談ばかりがピックアップされて語られるので昔が良かったように錯覚してしまうのである。
一方、マスコミは不祥事・事件が起きると「前代未聞」と言いたがるのである。(実際はほとんどそんなことはない)
もし、そういう大人達の妄言に傷つけられたトラウマがある方はみんな忘れて欲しいです。
昔はよかった妄想で若者や子供達を傷つける大人こそが脳が劣化してるのであり、かつ器の小さい人間なのである。
PSYRYU

鵜の真似する烏(うのまねするからす)
水に潜って魚を捕るのが鵜だが、烏が真似をしたらおぼれてしまう。自分の能力を考慮しないで人の真似をすると失敗するという戒め。

仕事の心得です。「おいあくま」でまとめられてます。会社の先輩から教えてもらいました。感情的になると損だという教訓だと思います。
お:おこるな
い:いばるな
あ:あせるな
く:くさるな
ま:まけるな

禍も三年経てば用に立つ(わざわいもさんねんたてばようにたつ)

いまは災いと思えるものでも、時がたてば幸せの種になることもあるということ。
また、とんでもないものでも、長く保存しておけば、いつかは役に立つものだというたとえ。

諦めは心の養生(あきらめはこころのようじょう)

失敗や不運をいつまでもあれこれ悩まずに思い切ってあきらめ、気持ちを楽にもつのが心の健康によいという教え。

余り茶に福あり(あまりちゃにふくあり)

 人の残した物に思わぬ幸福が潜んでいるという意味で、先を争って手を出すのは賢明でないという戒めにも使う。

浮き沈み七度(うきしずみななど)

 人生には何度も浮き沈みがある。浮沈盛衰は人生の常であるから、一喜一憂するにはおよばないということ。

禍福門なし唯人の招く所(かふくもんなしただひとのまねくところ)

 禍福や幸福がやってくるのには、初めから定まった門があるのではなく、悪をなせば禍がくるし、善をなせば幸福がくるのであって、幸不幸は結局その人の行いが招くものだという教え。

身に過ぎた果報は災いの基(みにすぎたかほうはわざわいのもと)

 分不相応の幸せは災難を招くことになりやすいから、気をつける必要があるということ。また、自分に合う程度の幸せがよいという意味もある。

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