宗教に悩まされている人へ
2023年10月27日
◆PSYRYUのつぶやき 2023/10/15 から抜粋
PSYRYUのつぶやきの有益(と私が思ってる)記事を抜粋しています。
某教団の解散命令が出ることが決まったようですね。
宗教は本来、人を幸せにするものであるはずですが、数々の問題が報告されており、
まるでマルチ商法と同様の「厄介」なものとして扱われてしまっている現状は悲しいですね。
私は宗教の悩みを抱えている方に次のことを言いたいです。
・宗教は入信するのも自由であるし、辞めるのも自由である。辞めて不幸になることはない。
・新興宗教やスピリチュアル系団体などで、自分達が特別な使命を持つ団体だとか、
「あなたは選ばれてここに来たのです」とか言われるがどこでもそう言うのである。
「豚もおだてりゃ木に登る」みたいにおだてる戦術である。
おだてられて優越感に浸るのも、人生を捧げるのもその人の自由だが、
それが本当に自分にとって幸せなのか?代わりに苦労させられていないか?考えて欲しい。
もし、本当に特別なエリート集団だったら、誰でも入会できるはずはない。
一般人相手に勧誘するはずがない。という当たり前のことに気づいて欲しい。
まやかしの優越感に金と時間を捧げる価値があるか?を考えて欲しい。
・宗教を止める=全てを否定して無神論者・唯物論者になることではありません。
もし、私の言うことを信用してくださるなら、神仏・霊・死後の世界は確実に存在します。
宇宙を創った創造主やら悪魔がいるかどうかは分かりませんが。
宗教を止めたとしても全てが嘘だったと絶望しなくてもよいです。神秘の世界は確実に存在します。
・見えない世界は常に人々を支援しているが、見返りを要求しない。
宗教で助けてもらったとしても人生を捧げて恩返しをしなくてもよい。
恩返しを要求する神仏・教団などさっさと捨ててしまえ。
神仏がみんな恩着せするせこい存在ではありません。いろんな神仏がいます。
・宗教の為に経済的苦労をしたり、勧誘ノルマに苦しんでいるなら辞めてしまえばいい。
宗教は人の幸せの為にあるのであって、苦しみをもたらすのなら存在価値はない。
宗教団体が消滅しようがどうしようがあなたには何の責任もない。
・宗教で食ってる人間の為にあなたが犠牲になって捧げてあげる義理はない。
恩義もない宗教関係者の食い扶持など、心配してやる必要はない。
あなたは自分と家族の食い扶持を心配するべきである。
見知らぬ他人の都合のために自分の生活が犠牲になってるなら、即やめるべき。
・私は自分を犠牲にしてでも奉仕したいと思う立派な宗教者を見た事はありません。
この世に肉体を持った人間は全員俗人です(私もです)無条件に信じないこと。
・宗教の選択によって幸福・不幸が決まることや死後の境遇が決まることはない。
会員特典で天国が保障されるはずがない。「天国行きの会員特典」取得の
誘惑はマルチや投資詐欺の罠みたいなものである。うまい話には裏がある。
・私は絶対の真理や唯一正しい教えなどというものを見たことも読んだこともありません。
何を信じるか?は人それぞれの自由です。絶対だの正統だの唯一正しいだの言う人がいても
「あなたがそう思ってるだけでしょ」と聞き流せばよい。自分の信念は自分で選ぶ権利があります。
人間は特定の宗教を信じるために生まれてきたわけではない。
・私はイキガミ、特別な魂の持ち主などを未だかつて一人も見たことはないです。
私の個人的信条にすぎないですが、イエス様もお釈迦様も人間だったと考えてます。
ですから、伝説の聖者など誰も崇拝してません。全員特殊な能力を持った人間でしかない
と思ってます。聖者や伝説に憧れるのは自由ですが、あなたの貴重な財産や時間を
知らない他人に捧げて欲しくはないです。自身や周りの大切な人に捧げて欲しいです。
・宗教は偉大なる精神文化であるが、時代によって変わるものである。
聖書やコーランは古典であり、時代遅れである。今求められている宗教は世界の多様性を
認める現代に必要な教えである。「宗教も時代によって変わる」と考えるべきである。
・奇跡、病気治癒、ヒーリングなどはどこにでも起きている。信じれば起きる現象である。
それらがあったからと言ってその宗教が本物だと思う必要はない。
治療をしてもらったからと言って一生を捧げて恩返しなどする必要はない。
現に当サイトでは「奇跡」と称する現象を無償で再現してるつもりです。
私は効果あった人に恩返しなど求めてはいないです。
・宗教(特に提唱宗教)の原理は誰かの世界観・価値観であって絶対ではない。
そんな他人の世界観をあたかも絶対・永遠の真理であると信じることは自由ではあるが
信じなければならない義務はない。おかしいと思ったらいつでも信仰をやめる自由もある。
宗教関係者は自分達の教えが絶対であり、布教しなければならない、他宗は間違っている
ので広めなければならない。真理の為に闘おう、などと主張したがるものであるが、
そんなものは宗教者の経営・生活の都合であり、我々の知ったことではない。
宗教を特別なもの、絶対的なものだと考えるのは宗教者の思い上がりである。
宗教は文化にすぎない。時代と共に変化する流行のようなものにすぎない。
文化は価値があるものだが、社会に必須でも、不可欠なものでもない。
あなたが音楽やアニメを好みで選ぶように宗教も好きなものを選ぶ自由がある。
自分の選択を他人から強制される筋合いはないし、いつでも好みを変える自由がある。
一つの宗教だけに絞る必要もない。あなたの推しが何組あってもよいのと同じである。
信仰を強制するのは器の小さい人間だけである。神仏はそんな器の小さい存在ではない。
もし、信仰を強制する神仏が居たのなら低級な存在なので信じるに値しない。
関連ページ:宗教の自由について