嫌いな人を愛せない悩み
2023年8月1日
◆PSYRYUのつぶやき 2023/8/1 から抜粋
PSYRYUのつぶやきの有益(と私が思ってる)記事を抜粋しています。
今日は皆さんから時々質問が来る話題を取り上げます。祈りに関する悩みです。
それは祈りをする時に「嫌いな人、憎い人の為に祈りをすることができない」と
いう悩みです。宗教やスピリチュアルで「憎い相手を許しなさい」などと言われて
いるが、「自分はそれができない、だから、自分は神仏から嫌われてしまうかもしれない」
などと悩んでしまう真面目な方がいらっしゃるんです。
それについて私の見解を述べます。結論から言うと
「憎い相手、愛せない相手の為の祈りを無理にしなくてよい」です。
嫌いな人を愛せない、憎い相手を許せない という気持ちは人間が肉体
を持っている限り、付きまとう業みたいなものです。それは仕方ないんです。
それを消し去ろうと修行をする人もいますが、私の意見としては
「それができたから、何なの? それだけで天国にでも行けるの?」
という感じです。それができても、単なる変な特技にすぎないでしょ?という感じです。
もし、食欲や性欲を感じなくなるようにできても、ダイエットやセックス
によるトラブルを回避することができるだけです。それ以外に何かいいことでもあるの?
という感じです。神様がそんな特技を誉めてくれるのでしょうか?
同じように恨みを抱く相手を愛する事ができたとしても、
「人を恨まない綺麗な心を持つことができた」と自己満足できるだけのことです。
神仏がそんな芸を身に着けただけで評価してくれるはずはありません。
私は度々、恨みを忘れるようにアドバイスをしていますが、自分が無用な苦しみを
感じないようにするためです。決して「憎い相手を許し、愛しなさい」などと
言ってるわけではありません。そんなことはしなくてもよいです。
神仏に祈りを捧げる時にも、無理をしなくてもよいです。自分や大切な人のこと
だけを祈ってもよいのです。ほとんどの人はそうだと思います。
それに加えて、自分と同じ境遇の人や立派な生き方をしている人達の為の祈りを
加える程度でよいのです。嫌いな人のことなど祈る必要はないのです。
神様はそんなことを要求してはいません。もし「汝の敵を愛し、祈れ」などと
要求したのなら、そんな神仏は捨てて別な神様を信じればよいのです。
当サイトの神仏はそんな完璧主義みたいな考え方ではありません。
ですから、あなたが愛することができる人達のためだけに祈ればよいのです。
人を愛せない自分、嫌いな人を抱えている自分を責める必要などありません。
祈り行をしているうちに愛せる人が増えたりします。自然に任せればよいのです。
無理に自分の心を変えようとストレスを感じる必要はないです。
この世に人間として生きてる限り、生理的反応、生理的欲望、怒り、憎しみ、恐怖
を感じてしまうのは避けられないことです。それを無理に変える行など必要はありません。
そんな不自然なことを達成することが、天国に行くための必須科目ではありません。
ここで私自身の祈りの範囲について説明します。
私は何よりも恩義を重んじます。先ずは両親、姉、ご先祖様、そして人生で私に
親切にしてくださった恩人達を愛しています。また国の為に祈ることもあります。
また、私のサイトを愛顧してくださっている読者の皆様のことも恩人と考えて、
愛しています。そこから皆さまに良くしてくれている善良な人達のことも愛しています。
加えて、私を守護、指導してくださった神仏、および神仏が愛している人達(支援者や信者など)
のことも愛しています。
更に、世界、及び日本で立派な生き方をしている人達や苦しんでる善良な人達、
自分と同じ境遇で辛い想いをしたことがある人達のことも愛しています。
これらの人達の為の祈りをしています。
決して全ての人に無条件に祈りを捧げているわけではありません。
恩義や仲間だと思う人達を愛してるわけです。
私を不当に侮辱した人、イジメた人、私が許せないような生き方をしている人は
祈りの対象外です。未来永劫一切そんな人間のために祈りをするつもりはありません。
日本全体に祈りを捧げることもありますが、その時も、そういう人間は除外してます。
「嫌いな人間は除外する」としっかり潜在意識にインプットしておけば祈りはその通りになります。
世の中の人の為に祈ると嫌いな人の為にも祈ったことになってしまうと悩む必要もありません。
除外するとあなたが決めれば祈りはその人だけ素通りして作用します。
私は、嫌いな人間に復讐するつもりはありませんが、不当に傷つけた人間がどんなに酷い状況になった
としても、援助するつもりは1ミリもありません。1秒たりともそんな人間のことなど考えないつもりです。
未来永劫一切関わらないつもりです。当然祈りの対象外です。それでいいのです。
もちろん、私が肉体を離れてあの世に行った時にはこの気持ちは変わって、
無条件の愛を抱くようになるのかもしれません。私の分身はもっと心が広いみたいなんですよね。
でも、肉体を持ってる限り、私は肉体の自我のままでよいと考えてます。
皆さんもそのように考えて、自分が愛する人にだけ祈ればよいです。
愛する範囲が狭い、広いなどで人と競争する必要もありません。心のままに祈ってください。
そんなことで悩まないで欲しいです。
真面目に考えることは素晴らしいことですが、自分を責めないようにしてください。
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